ぼくらのにおける正解
あんまり最新の話を書くスタイルじゃないんだよね、とくにマンガ
でもヘルシングはでたらすぐ書きたいとおもうよ
以下ネタばれあるかも?
ぼくらのは後味の悪い作品だった
まだ完結はしていないが、とにかく主人公たちに救いがない
自分が死んで世界が滅びるか、自分も世界も滅びるのかの二択だから
自分が死んで世界が滅びるか、自分が生き残って世界が滅びるか、ならまだ考えようもある
つまりは天秤の問題であって自分のこころの天秤は世界と自分どちらに傾くのか、ということだから
もちろん、世界のほうが価値はあると認めるがそれでも死にたくはないということもあるだろうが
で、正解はないというのは確かだと思うのだけれど、自分はどうしたいかも思いつかなかった
中には確かな正解を持っている人もいるだろうが、つまりどうせ死ぬなら世界を救うべきだ、って考え方を持つ人もいるだろうが でも自分には正解よりもどうしたいかが思いつかないほうが深刻な問題だ
ほとんどのことにはどうすべき、とそしてどうしたいか、が思いつく、というか意見としてもっている
でもぼくらのの世界の中ではどちらも思いつかなかった
最初は自分で世界を滅ぼしてしまえ、とか道連れにしてやる と思わないこともなかったが読み進めてくうちにそれもむなしくなった なぜなら作品の中で他人を道連れにして、とか復讐を果たしてから、というのがむなしくなるだけの要素があったから これが復讐や道連れになにかしらの解放感、つまり他人の思い通りにはならないぜ、みたいなメッセージがあればそれに賛成反対で自分の意見を構築していくこともできたかもしれないがその基礎がこの作品にはない それが何よりもぼくらのを気持の悪い作品にしていると思う。
ただし、僕がこういう結論にいたったのは自分の死に意味が見いだせていないから、もある
たとえば、正しい行いをしたものは死後天国に召されるという信仰を持っている人や、輪廻転生なんかの信仰をもっている人には世界を救うべきだという正解をもっているかもしれない
なぜなら、彼らにとって死は終わりであると同時に始まりでもあるからだ
というわけで、ぼくらのはとてもその人にとっての死生観を刺激する作品であったと思う。そして死生観を刺激するような作品は僕にとって魅かれてしまう気持ち悪さをもった作品だと自己分析をすることができた