おもしろきこともなき世におもしろく

ライトノベル・SF・マンガ・ゲームの感想。それにMtG(モダン・ドラフト)についてちょろちょろと記載。

キャラクターの記号化にみる物語の楽しみ方

 最近キャラクターの記号化が進んでいると思うのですが、その一方で思うのはキャラクターの記号化とは、ただキャラクターの理解をしやすくするだけではなく物語の楽しみ方、受容の仕方までも予め決めているのではないか?ということです

ライトノベルでいうとバカとテストと召喚獣にでてくる秀吉というキャラクターは男であるけども女の子のようにかわいい(むしろ女の子よりもかわいい?)、という

男の娘

という記号を持っています

で、男の娘という記号の特徴としてかわいいというものがありますが、どうにも秀吉がかわいいのはあくまで男の娘だからという以上のものを感じられないのです
ライトノベルには挿絵がつくのですがもちろんその絵がかわいいというのはあるが)

これがキャラクターの記号化だと思うのですが、この記号はキャラの持つ属性を決定すると共に

作品の受容の仕方も同時に決めているのではないか、と思います




物語の中で読者のは能動的に秀吉が可愛いと思うのではなくて、もう秀吉は可愛いものだとごり押されていて、これは感じ方そのものを指定されてると思うのです

秀吉というキャラを可愛いと思うかどうかは自分で感じ取るものではなくてとにかく可愛いんだから可愛いんだって具合です
 (あとバカテスの挿絵で水着シーンでも秀吉の挿絵だけは上半身裸になってなかったりするのですが、これも秀吉というキャラの男の娘性を上げていると思う)


だからどうしたってことはないんですがこれは小説を読むことのひとつの楽しみである

こちらが読み取ること気づくことという楽しみをスポイルしていると思うのです



だって、これこれこういう理由で秀吉かわいい!って感想を交換したら楽しいけども、可愛いったら可愛い!ってごりおしたらあんまり楽しくないでしょ?
というおはなしでした