欠けていることの魅力
何かが欠けている、ということにはある種の暗い魅力があるらしい。
創作物のキャラクターには結構隻眼、隻腕、義眼、義手といったキャラクターがでてくる。
神話レベルにもそういったキャラクターはでてくるので、人間の本能に基づくものなのかもしれない。
またサモトラケのニケやヴィーナス像に見られる美術品の中の欠損というものも、非常に魅力的であります。
さらに言えば精神的な欠損というのも魅力的ですね。
凸凹が綺麗に組み合わさるような形での主人と奴隷、みたいなモチーフでしょうか?
聖痕のクェイサーとか、アニメはエロとギャグで終わってしまったみたいですが原作は倒錯的で好きでした。
カーチャと華の主従関係がそういったものと作中で表現されてましたね。
かなり痺れるところでした。
一方でベルセルクのガッツも身体的、精神的な欠損を併せ持ったキャラクターなんですが、こちらは倒錯的な妖しさより失われてしまったことの哀しさがメインです。
いずれにせよ失われることにより発生するアンバランスさ、その危うさから人は目を離せなくなり、そのことによってこんなに心を捉えてくる欠損というのはある。素晴らしいと思ってしまうのかもしれないですね。
そうなってくると一種のバイアスというものなのかもしれません。