何でもかんでも芸のこやしならぬ筆のこやしにする生き方
芸のこやし、というのはよい考え方だと思います。
だいたい枕詞のように女遊びとつくもので、言いづらいことではありますが。
感情の揺れや、思い悩むことは人間だれでもある。
その感情や悩み、苦しみをノイズとして退けて本来すべきことを阻害することは簡単。
でも芸の肥やし、というような人たち、本当の芸人にとっては多分生きることと芸を磨くことが同じことになっている。
そういう人たちにとっては自分のエネルギーがどうしようもなく集中されてしまうようは、恋や愛や憎しみ、悩み、苦しみといったものをこそモチベーションとにできるのではないか。
名前も忘れた詩人のことばにあなたが詩人/作家になりたかったらどんなことも書くための材料にしなさい。書くことをやめるくらいなら死んだほうがましだと思いなさい。
うえみたいなことを言ってる人がいたはずなんだけど名前は忘れた。
女遊びは芸の肥やしってのは上記のようなどんなことでも芸の糧にしなさい、というようなことなんではないですかね。
なんでまぁ、女遊びってのも漠然とするのではなくて、他人とぶつかったりして死にたくなったり、受け入れられてすごい嬉しかったり、憧れを感じたりとかそういう感情というかをこそ芸のこやしにしなさいな、ということなんでしょう。
なんでこんなことをだらだら書いたかというと、そもそもは仕事というか生活の中で辛いことがあったけど、その辛さというのは、文章ネタや考える題材として昇華することができるんじゃないかなと思ったのがきっかけ。
で、そうやって辛いことや悩みをネタに昇華するということこそが、芸の肥やしというの考え方なのかな、と思った次第。