Fate UBW 21話 感想
アーチャーの主張のほうがわかるんだけど、俺はこうやって失敗したからお前は諦めろっていう風にいわれて納得するのは難しいよね。
だいたい士郎は士郎でその無理というか無茶を押し通せたからこそ死なないで、アーチャーと説教バトルしているわけですから。
失敗も多いけど、なにげに成功体験もしているわけで、そこで同じやり方で仕事しようとしたら僕は失敗しました、しかもそのせいですごい苦しんでいます。だから君は諦めなさいといわれて納得可能なのか?というところで不可能だよなぁ。
あと、アーチャーはあくまで世界に魂を売却したからこそUBWできるようになったりしたんでしょう、という。
その意味ではアーチャーと出会うことで聖杯戦争のなかで能力面では、士郎はアーチャーの先を行く存在だよね。
まぁ問題になっているのはそもそも万人を救うなんてあり方が不可能だし、そもそも願いの方向性が間違っているということで、別にアーチャーよりも能力的にすぐれた存在になった程度では足りないんでしょうが。
アーチャーの後悔は実のところセイバーのそれと全く同じ
どちらも正しかったのです。
最終的には後悔しかなくてもその課程でおおくの理想を果たせたのが
聖杯に対する願いが、自分が王にならない世界をということで、正義の味方を追求した結果としてひどいことしかならんかったからやり直す、アーチャーと、やり直したい願望という意味では同じだ。
UBWルートだとセイバーが急に聖杯に対するこだわりをすてて、良いこちゃんになって、凛、聖杯はなんだかやばいものみたいです、破壊しましょうとなっているようですっきりしなかった。
だけどアニメでみてみると、アーチャーVS士郎を見ている最中に、結果は悔いしかないが、過程では素晴らしいことがあった、みたいなことをいっていたので、そこら辺の割り切りはできたんだろう。
士郎とアーチャーを見ているだけでそんなに悟れるものなのか、というところは2人の心象世界に入り込んでいたから、より納得できたということで納得してもらうしかない。
アーチャーは、あくまで士郎がハッピーエンドに辿り着けるとは思ってなかったと思う
アーチャーはあくまで士郎がハッピーエンドに辿り着けるとまでは思ってなかったんだとは思う。
結果だけではなくて過程も大事だね、というところにしかならなかった。
しかし、凛にたいして、凛がもっとひどい人間だったら俺もかつての自分にモドなら買ったものを、といっているのはどういう意味なんだろう。
かつての自分とは今の士郎で、つまり叶わないと知っている夢に向かって走り続けている自分。
今の自分は、その結果が破滅でしかなく、さらに言えば悲劇がその後も続いていくことがわかっているから昔の自分を止めようとしていた。
でも、凛が甘い人間だったから、かつての自分=士郎に戻ってしまい、士郎を殺すという目的を遂げることができず、敗北者になってしまった、と、ということだろうか。
なので、結局のところ夢を追いかけ続けることで破滅的な結末が訪れないとまでは思ってないのだよね、アーチャー。
うーん辛い。
ネタバレといいますか、ゲームもやってる自分としてはUBWルート最後の落ちとしては士郎と凛がパートナーになって、まぁ色々と聖杯戦争も片付けて終るわけです。
そして凛が士郎のパートナーになるにあたって、士郎のことをアーチャーみたいにはしないぞと宣言している。
だから、衛宮士郎は、アーチャーが本来考えていたこととは別の意味で、アーチャーにならずにはすむ結末が用意されていると思っている。
あ、そういえば、Fate/Zeroの衛宮切嗣は自分で何もかもをやろうとして失敗した人だったので、未来の自分、アーチャーを乗り越えるだけでなく、自分の夢の大本である衛宮切嗣をも、凛の力を借りることで、地に足がついた生活をすることができるようになるなら乗り越えたといえるのだろうか。
そう考えると、アーチャーは士郎だけでなくて凛にも託して敗北を選択したんだなぁ、ということでより良い話に。
ただ、凛と一緒であれば世界を救えるなんてわけではないので、実現不可能な夢をいだきつづけながらもある程度バランスをとって生きていけるでしょう、2人ならというところなんでしょうか。
アーチャーと凛の関係ってかなり気になりますよね。
凛が士郎を助ける時に使った形見のペンダントをアーチャーがず~っと持っていたことが縁となって、アーチャーが凛のところに召喚された。
少なくとも大怪我するところまでは士郎と同じ目にあっているわけですが、アーチャーは聖杯戦争に参加したのだろうか?
少なくともしていないように思えるんですが。そこら辺はどうなってるんでしょうかね。
増えるワカメ、もとい聖杯の素のワカメ
いいシーンのあとにワカメが聖杯にされて増える増えるという断末魔を残した。ちょっと狙いすぎててあざといんじゃないんですか?
一つ気になることとしてギルガメッシュはワカメのことをどういう風に評価しているのかが気になる。
雑種の一人でしかないんだろうか。
ギルガメッシュの台詞のなかで、多分別ルートあるいは原作にしかない台詞として、今の世界は人間増えすぎ、昔はみんな人間は自分の役割を持っていた。
奴隷には奴隷の役割があって存在価値があったというものがあった。
その論でいくとワカメには存在価値、もとい利用価値があったので、ギルガメッシュはなんだかんだいってワカメに優しかったのだろうか?