おもしろきこともなき世におもしろく

ライトノベル・SF・マンガ・ゲームの感想。それにMtG(モダン・ドラフト)についてちょろちょろと記載。

実写版攻殻機動隊/ゴースト・イン・ザ・シェルの感想

ネタバレはありありの感想になりますので、よろしくお願いします。

ルパート・サンダース版のゴースト・イン・ザ・シェル。
スノーホワイトの監督らしいですが、この人は結構北野武ファンらしいですね。だから謎の荒巻=たけしとい配役のようです。


ホワイトウォッシュだ!と公表前から騒わがれており、今ひとつスッキリしないスタートを切った本作ですが、意外とキャスティングは腐ってなかったと思います。
スカーレット・ヨハンソンも、ビートたけしも許容範囲内です。
各俳優さんの演技は悪くなかったのではないでしょうか。

ただ、なぜ少佐の義体スカーレット・ヨハンソンなのか?とかそこまで考え始めると、ディテールを詰める努力がなにもなされていないというところで嫌ですがね。

ディテールが全体煮詰めきれてなくて糞

少佐が少佐ではない。。。

原作攻殻機動隊では草薙素子はまずは軍属の人間として登場します。
草薙素子は暗殺ミッションで荒巻と現場がバッティングするところ、で荒巻及び読者に認知されます。
その後幾度か仕事上でバッティグするように思われる描写が入った後、荒巻が「攻殻機動隊」、まぁ公安9課を設立するために
草薙素子たちをヘッドハンティングするシーンにつながり導入となります。

まぁ何がいいたいかというと、少佐はもともと軍人で少佐だったから「少佐」なわけなんですが、どうも実写版攻殻機動隊だとそこら辺の設定が一切ないんですよね。。。
少佐は、テロで肉体と記憶を失った世界で唯一の脳みそ以外の全身が義体のサイボーグって設定なんですけど、自分のことを少佐と名乗ってます。

全くもってなんで少佐なのかがわからないんですよねー。
少佐を全身義体に改造したのはハンカロボティクスという企業で、政府との関わりが深い設定ではあるものの、それだけ。
公安9課は名前の通り、公安なので少佐と言うのはおかしい。

そういうディテールを詰められてないところが非情に多いのは、作品としてちょっと辛いです。

普通になんとなくの実写化でそこら辺の設定は詰めてないんだろうな、って目をつむるには士郎正宗原作は、世界観を詰めることに熱心すぎましたからね。。。

全体手に素人っぽいアクションシーン

原作では暗殺される大臣のSPは壁に隠れながら銃撃できるような、スーツケース型銃器を使っていたりしていたが、
実写版高額機動隊ではそういう考慮は何もない。
スーツケースから普通の銃を取り出してスーツケースを現場に投げ出す、物陰に隠れるどころかしゃがみもせずに棒立ちで銃撃戦をするなどなど枚挙にいとまがない。
そんなんだからアウトレイジから抜け出してきた、リボルバーを使っているビートたけしに戦闘用っぽいアンドロイドが何もできずに負けるんだよ。。。

ビートたけしの演技自体は「アウトレイジ何だ、とでも思えば」悪くはないが。

まー、とにかく細部が詰めきれていないにもほどがあるしその細部のいい加減なところにしても「原作をパクれば」それだけで多少はカバー可能な範囲にあるようなミスが多いので非情に
萎える作品群だったといわざるをえないですねぇ。

絵面は映像作品のまんま実写化

これは単なるネガティブなポイントではなく、今までのアニメ映画もその傾向がありましたが、結局原作の特徴的な設定や絵面を、実写化しているだけ、とも言えるんですよね。

多作品からのオマージュと気づいた絵づらについて

高層ビルへのダイナミックエントリー

映画冒頭で、高層ビルのマドから侵入し、光学迷彩で消えるシーンは、原作にあり、映像作品で繰り返し使われているシーン。
実写版では、暗殺のための突入ではなく、事件発生現場への急行だったため、ガラスを破った窓から脱出するのではなく、建物の中に「なぜか」光学迷彩を使って消えていくのでシュールだった。。。

顔がパカりと相手顔の下の機会が露出するアンドロイド

芸者アンドロイドの顔がぱかりとあいて、人を襲うシーンがあるが、これはイノセンスのロボットも同じである。

トーが餌を上げてる犬

原作のバトーは犬を飼っていないが、イノセンスでは犬を飼っており、その犬と見た目が一緒。

少佐の義体をメンテしているハンカロボティクスの技術者おばさん

このおばさんはタバコを吸うシーンがある。
このタバコを吸うおばさんは押井守攻殻機動隊2のイノセンスででてくる、暴走するアンドロイドを作った会社の技術者おばさんである。

ニセの記憶を植え付けられるゴミ掃除の人

ニセ記憶を植え付けられたゴミ掃除のおっさんがでてくるがこれは原作、押井守GHOST IN THE SHELL双方にでてくる。
ちなみに、植え付けられた記憶を消すことが不可能なのは原作、押井守版、実写版全部共通である。
原作のゴミ掃除の人はかなり楽観的で、偽記憶=離婚した、という悩みはもう消えたからいいの!とゴミ掃除の同僚に語っている。
押井守版では記憶を消せないことに関して、すごい悲観的な雰囲気で描かれておりもう自殺したそうな感じだった。
そして、実写版では全身を拘束されて、尋問及び偽の記憶について問い詰められたのち、「全身拘束された状態」で自殺する。

この描写はわりとひどくて、犯罪捜査のプロに全身拘束されて囚人監視のもと、「その場でジャンプして」着地に失敗することで首輪を利用して自殺するのである。
ココらへんもリアリティのかけらもないな~、と思ってしまう。
そもそもかなり辛く尋問されてゴミ掃除の人であるが、完全に犯罪被害者であって、原作では結構優しくフォローサれている人なのさー。

ココらへんも完全に雰囲気重視だね。
強いていうならニセの記憶を植え付けられたことが原因であっても犯罪行為を行った人間だから死んでも構わないし、そのまま闇に葬るつもりだったから構わない、ということだろうか。
それはあまりにも横暴な組織ではないか、と思ってしまうが。

終盤の多脚戦車

戦車と少佐が戦うシーンは原作でもあり、その際にはバトーが重火器を持って駆けつけて助けられている。
押井守映画版GHOST IN THE SHELLでも少佐は多脚戦車と戦い、その際にはバトーから助けられている。
押井守版では、少佐が多脚戦車の頭に当たる部分に飛び乗り、多脚戦車を破壊しようとするが義体を酷使しすぎて、義体が自壊する描写があった。
ちなみに、自壊するまで頑張るわけだけど、多脚戦車の破壊に失敗し、バトーに助けられる。
実写映画版では終盤で多脚戦車と戦い、少佐の義体が自壊する点は一緒だが、自力で多脚戦車の頭部パーツを引っこ抜いて破壊してしまう。。。
ここは違いだが、攻殻機動隊って現実は非情である、彼らはプロである、根性論では問題は解決しない、という世界観と反しているようでキライだ。

トーリー面について

まず少佐の名前が草薙素子ではない点が非常にびっくりした。
が、これには裏があって少佐は記憶を喪失しており、当座で名乗っている名前はあくまで別名である、という設定だ。
ネタバレを構わずに書いてしまうと、少佐の本当の名前は「草薙素子」であり、軍人でもなんでもなく、反政府活動をしている野蛮な若者だったのだ。
反政府テロリストもどきなので、ハンカロボティクスの全身義体実験の実験台にされてしまったのである。
これほんとにひどい改変で、少佐がそもそも全身義体であるっていうところだけ共通で、経験面で言えば何もプロでもなんでもないのである。
「エスパーよりも貴重な才能」をもったプロが少佐である、という原作の設定との乖離部分でいうとホントにひどい。

というか、世界で唯一の全身義体である、という設定はあってもそれが公安9課の活動に於いて、素人であるという問題を帳消しにできるほどのメリットになるはずがないので、なんか世界観の崩壊もいいところで非情に嫌だった。
でも、テロで家族を失った若い女性が全身義体になってテロと戦う(もともとは素人だったが急速に成長する)くらいの設定はハリウッド映画の設定としてはありきたりで目くじらを立てるほどのものでもない、ということなんだろうか。

原作では義体は自由に取り替えが聞く=技術的な限界はあるが肉体の限界をすでに人間は超えているという設定で、「わたしのゴーストが囁くのよ」というセリフからも分かる通り、電脳化された脳髄に宿る魂みたいなもの、ゴーストみたいなものをテーマにしていたのに実写版では逆に物質主義、というか義体のほうがクローズアップされていて非情に面白くなかったのである。

こういうところは、イノセンスみたいにいかないのは原作や押井守のテーマはどうしてみたところでエンタメとして大衆受けさせることを考える作品ではないから仕方ないのだと思う。
そもそも映画化ならハリウッドで、というのもどうなんだろうね。
制作費を使いすぎるので全世界に向けて、エンタメとしてウケる内容にしないと元取れないってのは作品作りとして良くないと思うよ。
ブレードランナーとか、どうしても近未来SFは比較するには名作すぎる作品があるけど、そこまで予算がない代わりによく考えて作られている映画が先例としてあるのにね。

智慧を使ってここまでできた、と金を使えばここまでできるが融合した作品になればよかったのにねぇ、監督・脚本の力不足著しいと思わざるを得ませんでした。

最後に原作シリーズの紹介

最後に原作シリーズの紹介で、いま簡単に手に入るものを紹介したいと思います。

原作第一巻、ネタバレも気にせず書いちゃうと、人形遣いと融合するところまでが第1巻です。

続いて第二巻。
第二巻は草薙素子人形遣いと融合。また自分自身の変種をネットの海にばらまいた未来の話です。
草薙素子同士が闘う未来と、ケイ素生命体という情報生命体となった草薙素子ともまた違う人類の可能性についての話です。

1.5というナンバリングから分かる通り話としては1巻と2巻の間です。
成長したトグサや、クロマと名乗る、人形遣いと合体した草薙素子がでてきます。
まぁ、話としては草薙素子がいなくなっても9課は存続しているよ、という話です。

本当の意味での原作はこの3巻だけですね。士郎正宗は本人も自虐的に語ることがありますが、遅筆なのでこんなものです。
また、映像作品と原作を切り離して考える人なので、あまりアニメ化映画化の際に監修などをしていないみたいです。

アニメ版

押井守版・GHOST IN THE SHELL

有名な押井守版ですね。これのおかげでカルト作品からメジャー作品へと化けた感じがする。
少佐のキャラクターは以降、この押井守版のクールな感じになってます。
原作の草薙素子はほとんど80年台のキャラクターだから、なんか妙に天真爛漫さがあるんですよね。リナ=インバースとか流行った時代です、そんな感じです。

イノセンス

攻殻機動隊 DVD BOOK by押井守 イノセンス (講談社キャラクターズA)

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イノセンス スタンダード版 [DVD]

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これは原作2巻に当たる部分っちゃ部分になるのですがそれを独自解釈したような話です。
草薙素子同位体=変種はでてこないけど、、人形遣いと融合した草薙素子がでてくる。
ただ、このあたりからバトーがなんか草薙素子に恋するこじらせ男子になってるのがちょっと残念だったりします。

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX(S.A.C)

アニメ版第一作。笑い男編を扱っており、テレビアニメオリジナルストーリーなのだが原作の硬派なところを引き継いてでおり素晴らしい。
ただ、少佐のキャラ付けは押井守版を引き継いでおり、少佐がクールすぎて可愛くない。。。
以降この傾向は続くのである意味重要。

笑い男編はなかなかおもしろいのでぜひ見てほしい。

攻殻機動隊 2nd G.I.G

個別の11人編を扱う。
トーリーの出来はシリーズNo.1かもしれないと思うのだが少佐の服装がなぜか謎のハイレグ固定なのがきしょい。
クールなキャラ付けは維持しつつ硬派にハイレグで不協和音を起こしてるのが厳しいところがある。

Arise

まだ見ている最中なので大したことが言えないが、少佐の設定もかなり違うし、漫画はもはや士郎正宗が描いてない。
アニメ、漫画ともに1巻だけみたが絵面をかっこよくしようとして、リアリティが犠牲になりがちなのが原作との違いか?