東京レイヴンズ15巻 ShamaniC DawN の感想
東京レイヴンズ15巻の感想です。
東京レイヴンズ15 ShamaniC DawN (ファンタジア文庫)
- 作者: あざの耕平,すみ兵
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2017/09/20
- メディア: 文庫
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ネタバレありありあです。
ざっくりした全体の読後感
ざっくりと全体を読んだあとの読後感についてですが、あれですね、完全にBBBのロンドン編です。
どういうことかというと、過去の因縁が説明されるだけで、現在の時間軸のなかでは一切物語が進展しない、ということです。
東京レイヴンズ14巻ではぶっちゃけ夏目くんが大変なことになったり、はっきりいってコン、というか飛車丸=夏目というやばい構図が明らかになったりしました。
じゃあ東京レイヴンズでは死んだ夏目が生き返ったりするのかといえばそうではありません。
過去の土御門夜光と、相馬の家の因縁が語られるばっかりです。
あ、あとしいていうなら、コン=夏目の構図を確定させた話ではありました。
作中での魂の扱いについて
東京レイヴンズ作中では信仰に基づかない陰陽道のあり方として、帝式、汎用式という陰陽道がでてきます。
土御門夜光がまさしく切り開いた、道具として便利な呪術というやつですね。
そして、信仰に基づかないからこその、魂の扱い、神様の扱いというのが一つのテーマになっています。
(ぶっちゃけ信仰をベースにすると物語のなかではない現代社会でも魂や神様については、なんかこううまいこと扱えちゃいますよね。信じているひとにとっては、ということですが。)
15巻では、夏目が飛車丸の生まれ変わりであると14巻で示唆された内容の補強とも言える展開があります。
14巻では死んだ夏目の泰山府君祭が成功しなかったこと、夏目の魂に呼びかけをしたにもかかわらず夏目だけではなく飛車丸の魂も反応したことが語られています。
そのため、泰山府君祭はうまくいかず2年間の続きっぱなしになってしまっている。
秋乃の中の神様が春虎に、「お前が魂をおくれ、整合性をとれ」みたいなことを伝えて、14巻はENDです。
この話からすると夏目=飛車丸が成立するんですよね。
ただ、そうすると夏目と飛車丸が両立して存在するのがおかしい、という話になる。
春虎が夜光の生まれ変わりだなんだ、といってみたところで夜光は死んでるから、納得はしやすいです。
一方で、夏目=飛車丸と言われても二人は同時に存在しているじゃないか、となってしまいますね。
実は15巻では夏目と飛車丸が同時に存在するのに同じ魂であることへの答えのような話がでてきます。
夜光の魂というものの解釈の仕方の話になるのですが、魂や神様は時空や空間を超えて偏在するものだ、というんですね。
たしかに偏在するものだという定義にすれば、同時に夏目と飛車丸が存在しても問題ないことにはなるので納得です。
魂自体は偏在するなら、どこで因果がねじれたのかなんてことはおいておいて、魂を現在から過去へ送ることで、同じ魂の人間が二人現代にいることの矛盾がなくなるんだぜ、という理屈ですね。面白い。
神様の扱い、というか平将門の扱いについて
相馬多軌子に平将門がおりてしまった、神降ろしが成功してしまったことへの対応の答えがある意味では15巻ででていますね。
神様は無限の存在だから観測者がどのように定義するか次第だ、という夜光=帝式陰陽術の神様観が示されました。
しかも、神降ろしに成功した敵を打倒するために夜光は、夜光の時代に神降ろしで平将門として規定し、利用することに成功している。
これは現代でおきている物語本編にどういう影響をもたらすか、と考えると相馬多軌子がおろした平将門を春虎が再定義することで、観測し限定することで対応が可能であることを示唆しているし、つぎの展開はそこにあるのかもしれないですね。
しかし、BBBの吸血鬼がいかにうまれるかであったりとかあざの耕平はこういう話を指せると輝きますね、わたしは話に深みがでてこういう設定大好きです。