おもしろきこともなき世におもしろく

ライトノベル・SF・マンガ・ゲームの感想。それにMtG(モダン・ドラフト)についてちょろちょろと記載。

ブレード・ランナー原作、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」読了

あらすじ

遠い未来だか近い未来。核戦争が起き、地球は放射能に汚染され、人類は火星へ逃げだした。
辛い火星で生き延びるために、人類は人間そっくりの有機物でできたアンドロイドを創りだし、人類の召使としていた。
主人公、リック・デッカードは人間の主人を殺して逃げ出したアンドロイド狩りをして生計を立てているバウンティハンターだ。
悩みは、生きている動物を飼うことがステータスであり義務である社会でありながら、自分が飼っている動物は偽物の電気羊であること。
本物の動物を飼う金もなくて困っているところに、同僚が6人組のアンドロイドを捕まえる最中に大怪我をしたこと知る。
そして、そのアンドロイドたち捕まえるためにリックが出張る羽目になっていくという話だ。

アンドロイドと人間との違いとは

人間とアンドロイドの違いは何かということが繰り返し問われる作品だった。
主人公は、アンドロイドを殺して生計を立てている人間だ。
ややこしい心理テストをしないと人間とアンドロイドを区別できない。
そんなアンドロイドを殺して生計を立てている人間だ。
主人公は基本的にアンドロイドに同情しない人間である。しかしふとしたことからアンドロイドに同情してしまう。
そうすると、途端にアンドロイドを殺すことができなくなる。
ディックの描くアンドロイドと人間の違いは共感力の違いである。他者にたいしてシンパシーを得ることができるかどうかの問題である。
だから人間である主人公は、時には、自分が実はニセの記憶を植え付けられたアンドロイドではないかと葛藤しながらも、自分が人間であることを悟る。
知り合いのアンドロイドと同型である逃亡アンドロイドを殺すことに葛藤する自分自身を見つけることで、自分が人間だと気づく。
さらに、アンドロイドは動物を長く飼えないことからさらに、動物を飼うことにこだわるようになる。

生き延びた僅かな動物を飼うのが、美徳とされている社会で人間そっくりのアンドロイドを容赦無く殺す矛盾

動物はどんなものでも大事に飼うのが道徳的な社会なのに、それでも人間そっくりのアンドロイドを容赦なく殺すことに、何の躊躇も感じない社会。
矛盾していて面白い。
人間に同情することができるのに、アンドロイドに同情できないのが人間なのか。
いや人間はアンドロイドにも、個人レベルでは同情することができるし共感することができる。
事実主人公は共感を示していた。
それでも社会全体としては、アンドロイドを殺すことで回っている社会だというのもまた興味深い。

共感能力を持っていることがどれだけえらいんだ

ちょとだけ、サイコパスの人とかのことを考えて、共感能力がどれだけえらいんだと思った。
共感能力を持ってれば放射能で頭ヤられてる人間のほうが、アンドロイドより上といわんばかりの描写。
多分、ディックの人間と非人間の境目がその共感能力なのだと思うのだが。
共感能力を持っていなかったとしても、別に他人にたいして理性でもって配慮をして行動をすることができればいいのではないか。
不合理な共感を持って、苦悩しない奴は人間じゃないというようなのは、ちょっとひどいと思いました。
まぁ1960年代の精神の現れなんだろうけど。
あるいは、この共感能力というのが、西洋人にとっての道徳性なのかもしれない。だからこそ、動物であっても感情がある、とか感情がない、とかそういう考え方で人間の仲間と仲間以外を分けるというか。
#やたらとイルカやら鯨やらに高度な知性があって感情があるんだ~とかいいだしちゃう動物愛護団体がいたりするのこういう、人間・非人間の境界を採用するからかもしれない。

間違ったことでも、やらなければならない

人間は共感・同情ができる生き物で、それができるかどうかこそ人間とアンドロイドの真の違いだとされた。
人間であるからこそ、アンドロイドに同情してしまったリックは、それでも、逃亡アンドロイドを殺さなければならない。
そこにどんな答えを用意するかというと、間違ったことでもやらなければならないことがある、という啓示である。

人間だから主人公はアンドロイドに同情する、共感できる。共感を示している当のアンドロイドを殺すことは間違っている。じゃあ殺さないで済ますのか、というとそういうわけでもない。
殺す必要があるのだ。
だからこそ、間違っていることでもやらなければならないのだ、という世界観をディックは示してきた。

作中で語られた言葉を借りるなら
「女と寝て、それから殺す」

そういうことだ。

そしてこの間違っているけどやらないといけないというのは、知性もち共感能力を持つかもしれない動物を人間が食べていることの答えになるかもしれないのだよね、と考えると実に面白い。

やはり、今日に至るまで人間は間違っていたとしてもやることをやって生きるのしかないんだろう。