おもしろきこともなき世におもしろく

ライトノベル・SF・マンガ・ゲームの感想。それにMtG(モダン・ドラフト)についてちょろちょろと記載。

仮面ライダークウガ、11話までの感想

仮面ライダークウガを見始めました。

平成ライダー第一期であり、かなりの人気作品の一つ。
2015年の今みているものですから、実に10年前の作品です。

だから絵作りが少し古いということはあるかもしれないです。
さらにいうと、ヒロインの桜子さんが少し芋っぽく感じられたりすることがある。
ステキな女性なんですが。

オダギリジョーじゃん

見た瞬間にちょっとおもったこと。これオダギリジョーじゃん。
クウガはどうやらオダギリジョーの出世作でもあるみたいで、びっくりした。

でも「俺、夢追い人」っていってるオダギリジョーは面白い。

バラエティの司会をこなれた感じでこなして若手をちょっとやらしくいじっているイメージのあるオダギリジョーだったんだけど、なんか若々しくて初々しくていい。

そういう演技なのか、そういう時代だったのか。

まぁ本筋ではないのでいいんですけど。

古代の戦士クウガに変身するというコンセプト

改造人間からちょっと離れました。
ただ、もっと後発の平成仮面ライダーと比較するとクウガと呼ばれる戦士に体そのものが変わってしまうというところが、重いといえば重い。

Wでは、仮面ライダーになることの悲哀はほぼ描かれなかったと思っている。それどころか、怪人のドーパントになった人間も、そのための変身道具さえ手放せばチャラという雰囲気があった。

刑事モノとしての面白さ

刑事の一条さんと協力して、未確認生命体と戦うなかで、刑事物としての面白さもあります。
人間パートというか変身して戦わないパートにも見どころがあるというのがクウガの雰囲気のいいところだと思う。
Wはちょっとコミカルすぎて良くなかったなぁ、と思うところなんですよ、そういうところだと。

戦うことになれていいのか?

戦う力があるから、皆の笑顔のために戦うという五代雄介。
それと同時に戦うのが平気になったの?とヒロインからいわれるシーンもある。

やはりヒーローというものはなさねばならないものをなすものであると同時に戦いをよしとしないものでもあるんでしょう。

それもまたひとつの世界観というかヒーロー観として優れたものであるというかよいよいです。
特に子どもたちに見せるヒーロー像としてはひとつの正解としてかっこいいと思う。

グロンギ語の存在

ネットで評判をみていたので、もうこの段階で未確認生命体が話す不思議な言葉をグロンギ語ということをしってはいるのですが、この独自の言語が世界観をふくらませていていいですね。

ただ、このグロンギ語は文法や発音までは考えられている言葉ではなく、ただ日本語の発音と文法で言葉を置き換えるだけのもののようです。
それがつまらないといえばつまらないので、創作世界のなかで独自の言語を作り出すことの限界かな、とも思う。

指輪物語が有名なトールキンの大先生は、言語学者だからエルフ語を作るにあたっても非常に緻密なものを作り上げていましたが、アレと同じことが誰にでも出来ると思うことのほうが勘違いもいいところなので、しゃーないですね。