おもしろきこともなき世におもしろく

ライトノベル・SF・マンガ・ゲームの感想。それにMtG(モダン・ドラフト)についてちょろちょろと記載。

衛宮士郎が幸せになれないのは、暴力で総てを解決しようとする視野の狭さが原因

主にUBWを踏まえての感想です

タイトルの通りで、誰もかれもを救う正義の味方、という概念そのものが存在し得ないから苦しんでいるというのはあるとは思うけど、それ以上に問題解決手段に暴力しかないのがいけない。

問題が発生しないようにしよう、とか互いの利害がぶつからないようにしようみたいな建設的な解決策がびっくりするくらいでてこない。

だから、不可能に挑戦することになるし、アーチャーも100人を活かすために10人を殺すみたいなシチュエーションに終始することになる。

例えば話ではテロリストがでてきていたが、ほんとうに正義の味方、みんなを救うというならばそんなテロリストがテロしなきゃいけないような利害衝突が大きい世界をつくらないように努力シてくれよ、というはなし。

視野の狭さから間違った努力をしているから不幸になる。

衛宮士郎の暴力志向

誰も彼をも救うといいながら自分と敵対する敵を排除することには躊躇と余念がない男だということが、特にギルガメッシュとのラストバトルで顕著。

ギルガメッシュが現代人を皆殺し計画を披露したあとも、ギルガメッシュをどうやって説得しようではなくて、どうやって倒そう=殺そうということに終始していた。

そもそもギルガメッシュ英霊だし、殺人に当たらないのでは、というのは受肉もしたんだから人間だよなあ、という話。
あるいは、受肉をした英霊を人間と認めないのか、士郎というような士郎側のモラルの問題になりまた別の問題に発展する。

暴力を避ける交渉をしない

上で述べたのが暴力をふるうことに躊躇がない人間だということですが、それ以外にも暴力以外で問題を解決しようという手段・発想に乏しい。

ギルガメッシュいたいしては交渉をそもそも放棄している。
ギルガメッシュに現代人を認めてもらって、そのまま受肉したあとも平穏に余生を過ごしてもらおうという発想もないし、聖杯の処理も乱暴。

汚れているから破壊しようまで一直線で、そもそも聖杯を安全に使う手段を検討すらしない。
いや、士郎本人には能力がないのかもしれないけど、人差し指をピンとさしながらなんでも説明してくれる遠坂さんちのお嬢さんがいるし、イリヤだっているし、参考人は色々といたはずなのだ。

なのに、聖杯に関しても改良しようとか安全に運用しようとかそういうのがなくて一直線に破壊にむいてしまう

そもそも問題が発生しないように事前に対応しようという発想がない

士郎は聖杯戦争に関しては、基本的に巻き込まれている立場なので、事前に解決せよとか問題が大きくなる前に解決せよという話をするのは、酷かもしれない。

でも、長期的な視野や問題防止という観点があまりにもないのは気にかかる。

アーチャーとの、論戦でも100人を殺すために10人を犠牲にすることは正義か否かという話で、そもそも俺ならそんな危機が発生しないようにするし!という観点がでてこなかった。

まぁ、士郎は誰も彼をも助ける正義の味方なんて不可能だけど、結末は悲劇でも、結末に至るまでは美しかったみたいな話をして終わりにするのかもしれないけど。

正義の味方にほんとうになりたいわけではなくて、正義の味方という綺麗な夢に憧れただけ

正義の味方にほんとうになりたいわけではないのが士郎である。
衛宮切嗣がもっていた、正義の味方という綺麗な夢に憧れただけだったのだ。

だから正義の味方になることよりも正義の味方になろうとすることに重きを置く。
ほんとうにマジで正義の味方になるための方法を追求するのでなく、間違った正義の味方になる方法を本気で、というか強迫症的に実行する人になってしまった。

どこまでも歪んだ人間像になっている、といった感じだ。

最も原作ではこの士郎の歪みは、HeavensFeelで少しは解消されるのだけれど。

結論

もう少し暴力以外で問題を解決しようとしろよ&HeavensFeelの映画楽しみです!